マーケティングと営業

私はサラリーマン時代、マーケティングという部署にいました。マーケティングの極みは、営業なしでものが売れるようになることです。ある意味、マーケティングと営業は相反するもの。それゆえに費用対効果もシビアに確認され、新しい仕掛けを作るときは随分その分析をしたものです。

二つの方法を同時に行うことはできない場合や、マーケティングの中でも違った方法論の選択がある場合、どちらかをやってしまうと、もう一つはできません。悩むことも多かったです。ですから最終的に「結果オーライ」でしか判断できないですよね。

やっぱりもう一つの方法のほうが良かったかなと思うことも多々ありました。

どちらが良かったかは、「神のみぞ知る」。

これは経済なども同様。日銀の政策などに文句を言う人がたくさんいますが、果たしてそれが正しいか否か。。。。。

どちらにしても、先のことがわからないから、たくさんの違った意見が出るのです。

我々もそのいくつもの方向性から、最善の道を見つけ出さなければいけません。

それに必要なものは、知識、直感とそれに伴う行動力。

とにかく、経済の停滞よろしく自分自身も止まってしまったら意味がありません。毎日、少しでも前進していくことが肝要です。

Keiba Coinの仕組み作りは、本当に繊細さを要求されています。

間違わないように、一つずつ進めていきます(^^)

コメント
なるほど。
ワイエルシュトラスの定理があります。たとえば三という数は、二.九九九…の究極にあるのか、それとも、三.……一という始まりがあるのかという議論。
数には「切り口」が重要だということです。

この重要な「切り口」ですが、武田信玄、上杉謙信、織田信長も同時代人であったのに、信玄と謙信は過去に向いていて、源平の戦いの伝統の最後にいるという感じがあり、信長は新しい時代に「切り口」が向いているという感じです。

結局、信玄、謙信は、川中島でエネルギーを使い果たしてしまい、信長の急激な台頭があったんですね。

「切り口」が未来に向いていれば、信長や、弱小秀吉、家康を先に滅ぼすことも出来たのに。

漱石も露伴も同時代人で甲乙つけがたい偉大な人だったのに、どちらかというと漱石のほうが親しまれています。
これも、夏目漱石は新しいものにベクトルが向いている感じがあり、幸田露伴は江戸時代に向いている感じがあります。

ベクトルをどこに向けるかって、とても大事なんですよね。

最近、暗号資産界の規制が進んでいます。
FOMO効果でBTCの値は上がって行くとは思うのですが、規制となると、これって、過去にとらわれ過ぎている気がしないでもなく。。。
国によって、方向性が真逆なのですから。
先日もコメントで書きましたが、中央集権、非中央集権を越えたところに、過去の良いものを残しつつ、一致団結という何か素晴らしいものがあるような気がしてなりません。
(追記:ワン太郎より)

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