その昔、人々は物々交換をしていました。
魚を釣った人が、狩りをした人の肉と交換するような感じ。
ところがタイミングでうまく交渉できないことがあるので、その間にバッファ(仲介)になるものができました。誰もが必要とした「稲」です。
この稲が「イネ→ネ」となり「値」という言葉が生まれたと聞いたことがあります。
同様に西洋ではこの稲の立場が「塩」でした。
給料を表す「サラリー」は、ラテン語で塩を表す「サラリウム」(多分です)から来ているとも聞きました。
そこに出てきたのが、金、銀などの貴金属です。
稲は腐りますので、一年しか持ちません。その点、金などは小さくて腐らない。
持ち運びが簡単で保存していても品質が劣化することもないので、物々交換の社会は少しステップアップします。
ところがそれも流通が増えれば持てないほど重くなります。
そこで「これは金と交換できる」という約束手形が代用されます。これが紙幣の始まりです。
この約束手形を発行していた業者は後に銀行になります。
当時の紙幣には、いつでも金と交換すると書いてありました。「兌換紙幣」です。
これが金本位制なのですが、この紙幣が広まったことでまたステップアップがあります。
経済が発展すれば発行している紙幣を全部兌換できる金を保有できていないという事態になりました。
そこで金の量に関係なく紙幣を発行することになったのです。
つまり日銀に紙幣を持ち込んでも金とは交換しなくなった「不換紙幣」の誕生です。
それでも人々はこの「紙」に価値を見出していました。
その紙もプラスチック(クレジットカードなど)を取り込み、徐々に進化をして行きますが、ここに大きな転換期を迎えます。
デジタルマネーです。
そして現時点での最終形が「ブロックチェーン」を装備したクリプトですね。
時系列に見ていくと、そのターニングポイントでは間違いなく賛否両論で物議を醸したことが容易に想像できます。
暗号通貨はまだ世界で完全なる市民権を得ていません。
その時にどの立ち位置でいるかです。
否定派、評論家であるべきか、当事者であるべきか。
つい最近、中学の同級生が勤めている会社の倒産をグループチャットで伝えてきました。
コメントに困りますよね。。。。。
でもそう言ったことはアフターコロナで多発しそう(汗)
個人的には、クリプトに関わっていて良かったと思っています。
お金はないよりあった方がいい。。。。。
その価値をしっかり捉えて、前進あるのみ。
お金は良いことに使えば生きますので、出来るだけ良いことに使うようにしてます。
無駄遣いはあまりしないようにしてますが、たとえば、1週間を振り返ると、「あ、こんな無駄なことに使ってしまった」と反省するようなことがあります。
なるべく経費削減です。
ただ、経費削減しすぎても、活動意欲が低下してダメになりますので、自由に使えるお金の7割程度を目安に削減していけば良いかなあと思ってます。
ぜんぜん忘れてましたが、政府からの10万円て、いつ来るんでしたっけ?
あれ?もう出たましたか?
(追記:ワン太郎より)